Worlds2023アンセム『GODS』への評価
Worlds2023アンセム『GODS』への評価はリリース直後と今とで変わらず”好んで聴きたくない”という位置にある。NewJeansがLeague of Legendsとコラボすると聞いたときは胸が躍ったしMVも最高の出来だった。しかし自分が思うNJのポップとはどうしても相違があり、GODSはZeroに続いて2曲目の必ずスキップする曲となった。
ただWorldsアンセムは毎年聴けば聴くほど、試合を重ねれば重ねるほど思い入れのある大切な曲へと変わっていくのだ。自分はT1に、Fakerに想いを重ねてGODSはより叙情的な歌に生まれ変わっていく。聴けば思わず感情が溢れてしまいそうでとてもじゃないが外で聴く気にはなれない。それが私の『GODS』への評価だ。
ルックバック
学童より創作漫画を始め周りからもチヤホヤされていた藤野だったが、自身より実力が上の存在である京本が現れ、嫉妬から描くことにより没頭するようになる。
学級新聞を通して藤野と京本は切磋琢磨していくが、身の振りを考えた藤野はある日描くことを辞めてしまう。
卒業式の日に互いは邂逅を果たすことになるが、その場で藤野は初めて京本が自身のファンであることを知る。京本も藤野に心動かされ部屋の外に出られるようになり、藤野と京本は共に再び漫画への道へ向かうこととなる。
賞も得られ漫画家としての名声を積み上げていく二人であったが価値観の相違からそれぞれ別の道を進むことになる。藤野は漫画家へ、京本は山形の芸術工科大学へと進学する。
しかし京本は学内で殺害され他界してしまう。京本を絵の道へ進めてしまったことで死んでしまったと藤野は自責の念に駆られるが、京本との在りし日を思い出し、一人理想の道へ歩む。
名前からも読み取れるように藤野と京本はそれぞれ藤本タツキ本人である。
学童より漫画の才があった藤野は藤本タツキにとっての理想(に近しい)の姿、対して引きこもり気味であった京本は差し詰め藤本タツキの現実の姿といったところだろう。
創作、生みの苦難。漫画家としてやっていくのか、それとも芸術を学んでいきたいのかという進路の葛藤。理想による現実の救済が描かれ、漫画によって生まれた”漫画家”という理想の自分、そして漫画によって死んでしまった暗く引っ込み思案だった現実の自分。現実サイドの自分が亡くなり憂はあるものの理想の漫画家として歩んでいくという藤本タツキの決意の垣間見える。そんな作品であった。
花譜 2nd ONE-MAN LIVE「不可解弐Q1」について書きました。
短い夏も終わり秋の深まる10月、花譜 2nd ONE-MAN LIVE「不可解弐Q1」が行われた。
昨今の情勢により完全にオンラインで行われることとなった今ライブだが、場所もそのため前回のZepp DiverCity Tokyoのような現実の設備ではなくVIRTUAL LIVE HOUSE「PANDORA」と完全にオンラインなヴァーチャル方面に振り切った会場となった。
PANDORAの場所は"地球では無い何処か"、そして座標も"不明"とある。
ここで少し英文の方の"Somewhere not on earth"に注目したい。
我々ヴァーチャル側ではない人間が存在する"地球"を表現したいのであれば"the earth"となり、地球を惑星のひとつとして扱って表現したいのであれば"Earth"となるのが妥当だろう。だがしかし"Somewhere not on earth"とあるように"on earth"なのだ。"on earth"は地球というよりも大地、地面、地上、転じてあの世(天国,heaven)の対である"この世"とも訳せる。
つまりPANDORAの地球では無い何処かとは直接的な言及こそ無いものの、あの世を意味しているのでないかと考えた。
生き死にが歌詞やテーマに多少なり存在する花譜の世界観において、地球上でない何処か(別の惑星)なのか、あの世なのか。この差は重要なのではと少し思うわけだ。*1
話をライブの方に戻したい。
ヴァーチャルな者達のライブではモニター等に映し出されるヴァーチャルな演者とそれを観るリアルな肉体を持つものという構図は不変でありある種この世の摂理とも言える。
ファーストライブの「不可解」の花譜もその摂理の中にあり、現実(リアル)の会場に生身の人間のバックバンドにモニターに投影されるヴァーチャルな演者という構図自体は悪く言えば在り来たりでこれまでの流れに沿ったものになっていた。
その法則を打ち破ったのが「不可解弐Q1」だ。
オンラインライブのため観客こそ会場には居ないが舞台装置は入れ変わり、生身の人間のバックバンドだったものが今回はモノリス状のモニターに収められ、花譜はその会場に実際に立っているという構図になった。
我々が存在している地球にある現実のモノは花譜の地球ではヴァーチャルへ、対してヴァーチャルは現実へいうように、現実のものはヴァーチャルにならざるを得ないかつ、ヴァーチャルな花譜が現実として存在できるのがPANDORAということなのだ。
そしてこれはもはやオンラインライブであるがために観客が居ないのではなく、"地球では無い何処か"であるがゆえに、我々が不可侵であるためにその場に存在できないと取れるのだ。
花譜の方も3Dモデルが進化しており会場もそうだが手間や人月、そしてお金がかかっているなとひと目で分かる。わからされる。
例を挙げると隼衣装のライトが当たったところが黒光りしているところやフードの中に収まるおさげの動き、目にかかる髪の影などから感じられる3Dモデルのクオリティの高さ。その上に全ての歌唱用形態に加えて神椿の花譜の以外の魔女ら達のモデル(そしてキズナアイもか?)も全て刷新されており、それはもう1本2本3本では済まされない額が発生しているだろう。
かかっている金額が全てではないが神椿の本気度を感じられる要素の一つになっている。
だが一つ、私には悩みのタネがある。ライブが現在進行形で行われているかどうかだ。そこが毎回気になってしまうのだ。
現実に存在している人間がパフォーマンスする際はやはりその場に"居る"ので口パクでない限りはその場で行っていることは明白だ。ヴァーチャルではそうもいかず録画に逃げることもできてしまうといえばできてしまう。
これまで足を運んだヴァーチャルユーチューバーのライブの中で最も評価しているライブが「Kizuna AI 1st Live “hello, world”」なのは変わっていなかった。が、それはやはりクオリティの高さから来たものであったり、ライブのライブとしてのライブ感がある。つまりはそこに"居て"その場で"演っている"という個人的には大事な要素が満たされていた。キズナアイはコールアンドレスポンスや観客のアブラハムにツッコミを入れていた。
録画ではないんですよという安心感がどうしても欲しくなってしまうのだ。何処かで疑の念を持ってしまうと私は点でダメになってしまう。
しかし、今回は不思議とその疑念は生まれなかった。そう感じさせる余地の無いほどの怒涛とも呼べるクオリティだったためだ。それに100%の確証こそ無いものの録画とは思っていないし彼女は3時間やりきったと思っているしそれを保証・証明する必要もない。
一過性のやれば終わり、観れば終わり、のモノではなく、何度も何度も繰り返し観たい。反芻したい"作品"に昇華された。もはや芸術作品とも呼べる仕上がりで思い返すだけでもため息が止まらなくなる。
セットリストについても私は花譜楽曲の中では『未確認少女進行形』と『私論理』と『魔法 feat.理芽』の3曲が特にお気入りなのだが、その3曲全部やってくれるのは嬉しすぎて涙モノだろう。
これまで花譜&理芽のデュオ楽曲の『まほう』のタイトルを"魔法"だと思っていた(というかアイスクリームライブでは漢字でしたよね?)が漢字でもカタカナでもなくひらがな表記だったことを初めて知ったが、それはともかくとして2回目の披露となった『まほう』を聴くことができて感無量だ。
ライブでの花譜は歌ったあとにその曲に対する思いを述べる。もはや名物となっていた花譜の10代の女の子らしいMCだが最初こそは初々しさもあり微笑ましいMCだったが回を重ねるごとに着実に語彙が向上しており、なんというか人間の成長や、時間の経過が、「不可解弐Q1」ではそれを色濃く感じた。
「共感できないけど憧れの曲」などひとつひとつの曲に対する想いが10代の彼女の語彙によって語られるが、自分が同世代だったときにそこまで曲に対して考えていたかと言えば否である。さらに10代の頃など誰しも思い悩み、葛藤するものだが、花譜自身の口からも胸の内の葛藤や悩みが独白される。そんな自分の想いを自分の言葉で表現できることや曲への真摯な態度が彼女に尊敬の念を抱かせている。
時間の経過と共に無くなっていくキラキラやワクワクといった気持ちを彼女の歌や歌への想いから自分は供給してもらっている。
これは明日も明後日もその先も貰い続けるだろうし、私は永遠にアーティスト花譜を好きでいたい。たとえ青い目、桜色の髪でなくなったとしてもだ。
音楽は魔法で救済で自由だと言うことや歌詞から来る言葉のパワーを再び噛みしめることになった「不可解弐Q1」は間違いなく一番異質で一番新しいエンターテイメントだろう。
生死(生きろ死ぬな)をテーマに掲げている世界観において、明日が来るかわからないという不確かさ、明日なにが起きるかわからないという不確かさがある中で理由もなく生きろとだけ言い続けるのだけでは無責任にも感じられるわけだ。だが神椿スタジオは次々と新しいコンテンツを提供し続けている。コンテンツが魅力的に提供され続ける限りは生き続けたいと感じられ、それが理由にもなり得るだろう。
前回の「不可解」より引き続き行われた御伽噺パートも世界観をより広げ花譜のライブならではの演出、醍醐味になっている。それを拡張した映像化もあり、その世界観の比率を多くしたミュージカルであったり短(長)編アニメーションへの期待が止まらない。
神椿スタジオは生きる理由を作るのが上手い。
続きの物語「不可解弐Q2」も生きて観測できることを切に願う。
*1:と言ってもその先になにか考えがあるかと問われたら無いんだなこれが。
フォローしてるからTLで回ってくる今日が何の日か教えてくれる子の動画の件について
今回の考察では特定のコンテンツ群に対して批判的な行為を行いたいのでなく、あくまで赤月ゆにの動画内で触れられている要素を個人的な解釈により噛み砕いて批評する意味合いの文章となる。私自身後述する濃淡どちらも視聴、応援しており、ただセンシティブな内容に突っ込みたかっただけである。悪しからず。
以下本文。
この動画の赤月ゆにのVTuberの意味が分かってない奴がチラホラいるためチラ裏に考察と記録として残したい。
『もう「VTuber」と呼ばないで』という(釣り)タイトルではあるが今回の動画は赤月ゆにがVTuberかどうかは本筋ではない。
VTuberの言葉の意味が変遷してしまい、VTuberのステレオタイプが一枚絵が生放送するというものに変わってしまった。というところからスタートする。
個人的な考えだが、VTuberにも濃淡があり、始祖*1キズナアイがVTuberの中で最も色濃いVTuber、生放送主体の一枚絵達が淡いという形になる。*2
(そもそも生放送主体の一枚絵達はライバーと自称しており彼ら彼女らはそもそもVTuberと名乗っていない節もある。)
繰り返しだが今回の話としては世間の、我々の、オタクの、ステレオタイプの話であり、本人がどうのというのは本筋とは離れている。
濃淡の話で言うと3DCGで動いている赤月ゆにはキズナアイ寄りのVTuberだと筆者は考えているが、赤月ゆには生放送主体の者たちを包含している言葉の意味としての"VTuber"と一緒くたにされたくない*3という想いの動画だろう。
ただ赤月ゆに自身(自体?)もVTuberでないならなんなのだというところでリアルな云々を持ち出すのは苦肉の策で事態をより一層難しくしている。
要はヴァーチャルビーイングであるとかバーチャルライバーであるとかの名称の問題で、生放送主体の者たちと区別できる新たな名称を確立できると容態が好転していくのではないかと考えた。
言葉の意味自体が広義すぎるVTuberというデカすぎるまでに成長した主語を細分化する必要性があるとし、この考察を終わる。
エアーポッズプロを1日使った感想
京都弾丸無計画旅行中ヨドバシ梅田にて試聴。在庫なんかないんだから試聴すんなよと言わんばかりの店員の態度が怖かったがそのノイキャン性能に一目惚れ。
次回入荷3週間後の文字に震えたがApple Storeは店頭受け取り在庫が復活すると何故か予約者をゴボウ抜きして購入できるのでその裏技(?)を使い購入。
ノイキャンにだけフォーカスしたことを言うと、雑多、消える。車の往来、川のせせらぎ。音楽と2人っきり。
ノイキャンをオンにした瞬間は気圧差により耳がグッとなるような感触こそあるもののそれ以降は電車のアナウンス以外はほぼ聞こえないか音楽を聴いていれば気にならないレベルになる。ホームに侵入してくる電車の存在に気づけなかったのは流石にビビるものがあった。
音質面はもう一歩足りない。もう少し欲しいと感じる。シンセサウンドメインなFuture Bass等の楽曲を聴く限りなんというか密度がなくスカスカな印象。もうちょっと低音鳴ったら楽しい音になるのだが。
その他細かいところで言えば開けた瞬間から微妙に汚い。大量生産特有の接合部分の詰めの甘さ、バリの黒い汚れが目に留まる。この瞬間ばかりはApple製品とは思えないほどだった。ちなみにApple製品は開ける瞬間が一番楽しいと言っても過言では無いため大幅減点。
あとノイキャン⇄オフ⇄外音取り込みモードの切り替えた際の音がデカい。調整できないかジョブズに嘆願書を書いた。
総評として誰が言ったか"高級耳栓"という表現が言い得て妙といったところ。3万円の価値はそこへ集約されていがち。
駅構内のコンビニで店員の声聞くためにノイキャンオフにしたら外うるさすぎワロタってなった。
失くしたら悲しすぎるのでお前を一生大切にしていくぞ2020。
オタクのイベントとパリピのイベントをハシゴした。
2019年9月22日の日記です。
今月の22日、考えれば考えるほど多忙。1年で最も長い日になることは明らか。
— トマトウ (@iTomatou) September 15, 2019
このときは知る由もない、自身の体にかかる疲労の大きさが。
まず行ったイベントの紹介から。
オタクのイベントはDIVE XR FESTIVALという端的に言えば初音ミクとヴァーチャルユーチューバーの合同ライブだ。
via: DIVE XR FESTIVAL supported by SoftBank オフィシャルサイト
出演者はこんな感じで知ってる人は知ってるし、知らん人は知らんというラインナップなように思える。(コナミ)たくさんのアーティストが出る都合上、各演者が行えるのは最大で2曲程。
誰か1人を目当てに行くのは無理があるといった具合だろう。
私は半分は知っているので、半分は知っている彼女/彼らが目的、もう半分まだ見ぬ出会いを求めチケットを買った。ちな1万円。
イベント自体のレポはPANORAを見ていただきたい。
富士葵さんの『小さきもの』でマジでバチっと涙出ちゃった。 #divexrfes
— トマトウ (@iTomatou) September 22, 2019
富士葵さんの『小さきもの』のグッと来た度だけは記しておく。
同日に行ったパリピのイベントはtrackmakerというザ・インターネット・オタク・ミュージックな大御所トラックメイカー勢揃いのオールナイトのDJイベントだ。
via: マサキフジタ on Twitter
私は最初演者が演者なのでオタクしか来ないイベントだと思っていたが、蓋を開けたら渋谷という土地も相まったのか、普通にパリなピポしか居なかった。DJイベントはDJイベントだった。
正直、演者が激アツだ。GAIAブースの演者を見てほしい。もし演者全員好きなら(全員好き)好きな曲しか耳に入ってこないよねというシンプル構造。かつ爆音。最高か。
じゃあ本題に入って上記の2つのイベンツをハシゴしたらどうなったか。死んだ。
本当はかろうじて生きてはいるのだが、普通の人間ライブは1日1ライブまでと決めているんじゃなかろうか。(?)
そんな中で2ライブ。ワーオ。
当日の主なスケジュールとしては、17時より幕張メッセでオタクライブ開幕、21時20分くらいに閉幕。海浜幕張駅から渋谷駅まで移動、1時間。23時から4時までDJイベント。カツカツである。ナチュラルに24時間無睡眠で稼働している。
人間体力にも限界があり、4時間オタク棒を振り狂った後にオールナイトで5時間踊り狂ったらどうなるか。ヘトヘトなんてレベルじゃないだろう。しかもオタクライブの方は幕張メッセでクラブは渋谷である。距離にして37.4km。時間がカツカツだった都合上移動の1時間はガンダだ。
渋谷に着いたとき既にオタクくんは体力の限界ギリギリを迎えており四肢は棒の様になっていた。
5分踊っては5分休むを繰り返していた。御老体。挙げる手プルプルしてたもん。ウケる。
— トマトウ (@iTomatou) September 22, 2019
出たわね、キズナアイ #trackmaker_vision pic.twitter.com/fIkY5hMu3U
— トマトウ (@iTomatou) September 22, 2019
でも死ぬほど楽しんだよね。YunomiからのDÉ DÉ MOUSEからのファイナルボス中田ヤスタカだもん。
共有したいよこの気持ちを。
そしてこの日の経験よりいくつかの結論に到達することができた。
第一にライブ、クラブは24時間に1イベントにしたほうが良いということ。説明不要の疲労度、手足外れるかと思った。
第二に空きっ腹でラーメンを食べるとお腹いっぱいになれるということ。約20時間ぶりのまともな食事かつ全身ボロボロということもあり身に染みるスープだった。完飲。
にぼにぼ pic.twitter.com/bcNwEwne0L
— トマトウ (@iTomatou) September 22, 2019
第三にオタクは臭いということ。マジで臭い。鼻に突き刺さるようなあの臭いは何事?風呂入れよ。右に居るやつ臭すぎだろと場所を変えたら今度は左にもっと臭いやつが出現した。対照的に渋谷のクラブはどうだ。そんな鼻を捻じ曲げてくるスティンキーな奴は居ない。みんな踊りまくって発汗して酒飲みまくってるのにいい匂いが発生してるまであった。
以上のことがあり、体の疲労度もエレー事になったがそこには確かに学びがあった。
今考えると計画性があまりないアホだった。勢いでやっちったんよね。
(補足だがその後6時に帰宅して7時から1時間古戦場をやっている。古戦場本戦期間中なので。)
おまけで各イベントの良い点、悪い点だけ備忘録兼ねてメモ書きしておこうと思う。
DIVE XR FESTIVAL
良い点
・前述したように新しく良いアーティストと巡り会えた。
・音響、めちゃイー。
・客席前方に女性専用観覧エリアがあったこと。
・オタク意外と色々なアーティスト知っていた。私のイチオシしているVのコールやその他Vのコールを多くの人が知っていたのは驚きだった。(みんな全部のアーティストが目当てで来てるんかな?)
・オリジナルのキズナアイのパフォーマンスはやはり流石なんだ。ソロライブに早く行きたい。
悪い点(文字は白くした)
・殆どのアーティストが録画を流しただけだった。オレが推しにかけてた声はなんだったのか。私が勝手に勘違い(ミュージックフェスと書いただけでライブとは一言も書いてない。)していただけだが、デッカい箱に集められてリアルタイムじゃない何かを見せられることに何の意味があるのかよく理解することができなかった。
・開場時刻と物販の開始時刻が同じなのは少しまずいでしょう。物販行ったら最前取れませんね。
trackmaker
良い点
・出演者に釣られてやってきたわけだが、釣られてよかった。聴きたいジャンルの曲しか流れん。
・チケットの値段が安い。
・トラックメイカーの人たちみんな自身作曲のキズナアイの楽曲を流してくれた。オタクに優しい。ソロライブに早く行きたい。
・中田ヤスタカ。ゴッド。
悪い点
・強いて挙げるのであれば体格の良い汗だくの酔っパリピに突撃されまくるのは吹けば飛ぶよなオタクくんにとってちと厳しい。まま、そういう場所なので無礼講。
ファッションは時として人を無敵にするか。
私はほぼファッションというか身につけるものに対して基本的に無関心だ。
靴は街歩き用のが2足でパンツはスキニーパンツが2本くらい。Tシャツはキャラクターが描かれたものが2~4枚程度で羽織れるものが2~3着。客観的に控えめな方だと思う。
こだわりも無いと言えば無いし、強いて言うならば特別な日を作らない。つまりは毎日ほぼ同じシルエットということだ。
他人からどう見られようがどうでもいいっちゃどうでもいいので現状満足はしている。
特別な日を作らないとは言ったが、実のところはある。
1枚だけあるお気に入りのlainのTシャツを着ている時だ。
lainのTシャツを着ている時だけはなんだか幸福感があるし、言い過ぎかもしれないが見て欲しいような、ある種無敵のような、そんな気持ちまである。
そんな外向きの気持ちを産むのがそのTシャツの、ファッションの力なんだとするならば、自分の身を着飾るのも悪く無いように思える。