141ばんどうろ

消費者です。

フォローしてるからTLで回ってくる今日が何の日か教えてくれる子の動画の件について

今回の考察では特定のコンテンツ群に対して批判的な行為を行いたいのでなく、あくまで赤月ゆにの動画内で触れられている要素を個人的な解釈により噛み砕いて批評する意味合いの文章となる。私自身後述する濃淡どちらも視聴、応援しており、ただセンシティブな内容に突っ込みたかっただけである。悪しからず。

 

以下本文。 

 

youtu.be

この動画の赤月ゆにのVTuberの意味が分かってない奴がチラホラいるためチラ裏に考察と記録として残したい。


『もう「VTuber」と呼ばないで』という(釣り)タイトルではあるが今回の動画は赤月ゆにがVTuberかどうかは本筋ではない。

VTuberの言葉の意味が変遷してしまい、VTuberステレオタイプが一枚絵が生放送するというものに変わってしまった。というところからスタートする。

 


個人的な考えだが、VTuberにも濃淡があり、始祖*1キズナアイVTuberの中で最も色濃いVTuber、生放送主体の一枚絵達が淡いという形になる。*2

(そもそも生放送主体の一枚絵達はライバーと自称しており彼ら彼女らはそもそもVTuberと名乗っていない節もある。)

繰り返しだが今回の話としては世間の、我々の、オタクの、ステレオタイプの話であり、本人がどうのというのは本筋とは離れている。

 


濃淡の話で言うと3DCGで動いている赤月ゆにはキズナアイ寄りのVTuberだと筆者は考えているが、赤月ゆには生放送主体の者たちを包含している言葉の意味としての"VTuber"と一緒くたにされたくない*3という想いの動画だろう。

 


ただ赤月ゆに自身(自体?)もVTuberでないならなんなのだというところでリアルな云々を持ち出すのは苦肉の策で事態をより一層難しくしている。

要はヴァーチャルビーイングであるとかバーチャルライバーであるとかの名称の問題で、生放送主体の者たちと区別できる新たな名称を確立できると容態が好転していくのではないかと考えた。

言葉の意味自体が広義すぎるVTuberというデカすぎるまでに成長した主語を細分化する必要性があるとし、この考察を終わる。

*1:正確には1番ではない。

*2:濃淡=善悪ではない。

*3:かどうかはわからないがそう読み取りました。